新卒入社半年でうつ病、休職、退職した話②の続きです。
この記事では、新卒で入社した会社が辛すぎて、初めて精神科へ足を運び、精神疾患の診断を受けたことや休職の手続きについてメインに書いて行きます。
精神科へお世話になるなんて私の人生で絶対にないと思っていたので、私も自分の身に起こったことという感覚がまだありません。
仕事がつらすぎて辞めたい。
本当にこんな自分で良いのか、そう疑問に思っている人の一助になれば幸いです。
業務量がパンク寸前に
私の仕事は営業職だったので、アポには行かなければならない、新規の場所に電話はかけなければならない、資料も作成しなければならない、プレゼンの練習もしなければならない。
業務がパンク寸前でした。
また、営業職は数字を高くあげればあげるほど良いに決まっています。
このことから、1つのクライアントに対しての完成度が低くてもフォローができないところにもものすごいストレスを感じていました。
せっかくお金を払っていただいてるのに、せっかく受注いただいたのに。
この思いがクライアントに対してもずっと消えず、心のつかえになっていました。
自分が自分じゃない気分
出社前には出したくもない涙が出てきて、食欲はすっかり無く、自分が勢いで新幹線に飛び込んでしまうのではないかと心配していました。
しかし、それでも会社には行かなければならない責任感から出社をしていました。
自分が自分の人生を生きていないような感覚はこの時が初めてでした。
それでも誰も私を待っていてはくれません。
しなくてはならないことは日々山のように増えていきました。
上司との課内の中が良くなくても、やらなきゃいけないものはとにかくやらなくちゃいけない。
それが仕事だから。
その責任感ばかりが大きくなっていきました。
いっそのこと死んだ方が楽かも
大学の時は幸いなことに多くの企業から内定をもらうことができ、今ではこんな私ですがどの企業にいこうか迷っていました。
とうとう仕事が限界になった時、大学が夏休みの期間を使って大学の教授やお世話になった進路課に相談しに行きました。
ゼミの教授や大学時代の友人に話をしても、「今はまだ仕事を辞めず、続けるべきだ」という結論がほとんど。
でも続けられる自信が本当にありませんでした。
奨学金を抱えていたこともあり、もういっそこのまま死ぬのが最適解だと考えることもありました。
「石の上にも3年」という言葉の呪い
「石の上にも3年」という言葉があります。
この言葉の意味を深く考えることはありませんでしたが、ずっと心のどこかに「まず3年は働かなくてはいけない」がずっとあった気がします。
というのも、私自身が、広告を扱う際に仕事の謳い文句として「3年未満での離職率」の危惧を語ることが多くありました。
こんなこともあり、3年未満で離職=情けない、世間的にはありえない、という構図が私の中でもう出来上がっていたのでした。
心療内科へ片っ端から電話
それでも私は、この精神状態と体調で働き続けることはどうしてもできない。
とりあえず病院に行って話を聞いてもらいたい、心の拠り所が欲しい。
そしたら、辞めるとまではいかなくても少しでも何か解決するかもしれない。
出張へ行く前に活気をつけるために食べた焼肉ランチの味が全くしなかったことをよく覚えています。
出張先に向かう新幹線のデッキで片っ端から地域の心療内科へ連絡をしました。
心療内科・精神科は全然予約が取れない
Twitterでずっと心療内科や精神科の受診について調べていたので、予約を取りづらいことはなんとなく理解していました。
しかし、心療内科・精神科に連絡しても本当に「新規診療は受け付けていません」・「最短でも2ヶ月後です」・「うちの医院は診断書は出せません」などという答えばかりでした。
住んでいる地域の片っ端から電話をかけましたが、どこもそんな対応ばかりなのが現実でした。
ヘルプが必要なのは今なのに
普段、今まで心療内科や精神科にお世話になっていない人が、普通に生きている限り日常的にお世話になることはありません。
今から2ヶ月後、3ヶ月後にうつになるなんてことも誰にも分かりません。
おいおい必要になるだろうと精神科に連絡する人はいないでしょう。
心療内科や精神科に連絡をする時は、ヘルプや助けが急に必要になったときだと思うのです。
ヘルプが必要なのは今なのに、と強く思いました。
誰もが、仕事などで限界になってからやっと連絡をするのが心療内科や精神科だと思います。
きっと、他の人もそうなんだろうな‥と思いつつ、理由はあれど心療内科や精神科がこんなに混み合っているなんて、と現実に落胆しました。
一縷の希望が見えた
それでもすぐにでも受診をしたかったので、病院の規模を変えてありとあらゆる精神を扱う病院に連絡をしました。
最終的に電話がつながったところは、とある大きな病院の精神科でした。
電話である程度症状や現状を話しました。
話しているうちに出したくも無い大粒の涙が溢れてきました。
こんなことは今までになかったので、やっぱり何かがおかしいと自分でも再確認。
しかし、受診できることになったのは3日後の月曜日。
仕事を休まないといけない時間でした。
初めての「体調不良」連絡
1分1秒でも時間が経たないことを祈りながらも月曜日はやってきます。
いつも朝イチ定時外からたくさん連絡をしてくる上司だったので忙しいと見ていました。
電話1本でさえも苦言を放たれそうだったので、私はチャットで連絡を入れました。
この連絡1本でさえも何か言われるのではないかと憚っていましたが限界です。
絶対にこの日は休まなければなりませんでした。
体調不良なので休ませてください。
速攻で返信が来ました。
「そう言うことは電話で連絡するように、了解。」とのこと。
いちいち反応にショックを受けることはなくなりました。
とりあえず休めることに安堵して、1つずつ手順を進めていきました。
涙が止まらなかった初めての精神科
精神科へ予定の時刻に到着してから、まずは社会福祉士との面談でした。
現状と自分の体調など事細かに伝える予定‥でしたが、涙が止まらず話がすすみません。
私自身もどうして涙が止まらないかわからない状態でした。
何を話していても自分を責める方に話を持っていってしまいます。
私は何をしているんだろう、こんなところに仕事を休んできている場合では無い。
こんなことをたくさん言っていた気がします。
社会福祉士に向かってなぜか懺悔をしていました。
「優しい人なんですね」と認められる
社会福祉士との面談が終わってから、お医者さんの診療になりました。
今ある現状が複雑だったので、紙に描きながらの説明になりました。
私はお医者さんとの面談時にも涙が止まらず、希死念慮も大きく感じているということを述べました。
それに加え、このような状況でも明日は営業の訪問予定がある、休むわけには行かないんじゃ無いか。
そんなことばかり言っていた記憶があります。
そこで、お医者さんに「責任感の強い人なんですね」「優しい人なんですね」「真面目なんですね」とたくさん言われました。
こんなに仕事ができないのに、真面目な訳が無い。責任感のカケラもない。そんなことばかりが思い浮かびました。
とはいえ、今すぐ優しい人を辞めることはできない、だから一旦会社から離れて休んでみようか、あなたには休むことが必要です。とお医者さんに言われたことが印象的でした。
診断書には3ヶ月の休養と記されていました。
「うつ病」の診断
仕事をしていてもどこか自分ごとでない、自分とは遠くで起こっていることに感じることや、何も頭に入ってこないこと、上司の言っていることを上手に理解できないこと、希死念慮はすべてうつ病の症状でした。
診断書にはっきり「うつ病」と書かれているのを見た衝撃は忘れられません。
ぼんやりとした意識の中でも、こんなこと上司に言えない。と思ったことを記憶しています。
それに加え、自分自身が本当にうつ病になるなんて、という思いの方が大きかったです。
「うつ病」診断。上司への報告
それでも病院でお医者さんに言われたことを上司に報告をしなければなりません。
正直、また仕事が始まる前の休みます報告よりも、しっかりとした病名のある「うつ病」の方が上司に言いやすかったです。
病院から帰宅後、速攻で診断書の写真とこう言う結果になりました、とメールで報告をしました。
すると、上司からは「了解。明日から休んでください。」との連絡が。
私は明日以降ほんとに会社に行かなくて良いの?
自分で精神科を選び受診したにもかかわらずそればかりが気になってしまい、ゆっくりともしていられませんでした。
それでも止まらない、私の仕事は誰がする?
病院に行って、休職の診断書をもらえたことに安堵するはずが私の仕事はどうなるんだろう。
責任と自分を責める気持ちばかりが先行してしまいます。
つい、明日は訪問があるのでどうすればいいでしょうか。と聞きました。
すると「こういう通知が出ている人を働かせるわけにはいきません」とだけ返ってきました。
この結果は自分で導き出したものにもかかわらず、またいろんな人に迷惑をかけてしまうというのが感想でした。
休職への罪悪感
自分で精神科を受診するという選択をしたにもかかわらず、
休職へ入ることにひたすら罪悪感が止まりませんでした。
これをお医者さんに言うと「今あなたが一番すべき仕事は自分を休ませることです。」との答えが。
この言葉は私の中でかなり救いになりました。
風邪や熱などの、わかりやすい辛さがない。
しかし、心が辛いなど自分でも言えたものでもありません。
でも確実に何かが辛くてこうなってしまった。
どうしてこうなってしまったのだろうと思ってばかりでした。
ただでさえいつも忙しそうな先輩にまた迷惑をかけてしまった。
この診断の数週間後、前に休職に入ったと噂で聞いた他エリアの同期に会いに行くことにしました。
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