責任感が強すぎて辛い。「責任感が強いね」は褒め言葉ではありません

責任感が強すぎて辛い。「責任感が強いね」は褒め言葉ではありません 早期離職


責任感が強いというのは褒め言葉ではありません。

私は自分の任された範疇以外のどうしようもないことでたくさん悩んで、心労ばかりが蓄積されていきました。

新卒で入社会社を半年でうつ病と診断され休職、そのまま復職することなく退職しました。

現在は2社目の会社で働いていますがそれでも責任を感じて心が重たくなり、疲れてしまうときが多々あります。

責任感が強いこと。聞こえは良いですが、実態はまったく良いことだと思いません。

責任感が強いことで、休日も仕事が頭から離れないことはもちろん、自分の範囲外のことも責任を勝手に背負って必要以上に疲れてしまうのです。

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「責任感が強い」「真面目」自分を縛る言葉たち

小さなときからリーダーや班長となどという言葉がとても苦手でなるべく避けて生きてきました。

その理由はリーダーや班長になると、選択を自分でしなければならないから。

そしてその責任は自分が負わなければならないから。

いろんな選択をして、自分のことは自分で決められても、グループや組織全体のことに関して自ら進んで舵を切っていくことはとても苦手でした。

それでもリーダーになる機会があれば1から100まで気になってしまい、どれだけリスクを侵さない選択をしようとしても「本当にこれで大丈夫かな?」とずっと不安に思っていました。

「私がやらなければ」で自分を殺す

社会人になって責任感が強いと言っても先回りして仕事を終えたり、根回しをして自分の思い通りに進めていく「行動」が伴えば良いのです。

しかし私は「私がやらなければ」と思うばかりでした。

色々考えることはあるものの、仕事において関わる人に依頼するのがとても苦手。

人に依頼するくらいなら自分で仕事を片付けるほうがマシ。

そう思っているばかり自分で全てを背負い込んでしまうのです。

休日も仕事のことで頭がいっぱい

責任感が強いと休日も仕事のことで頭がいっぱいになります。

土日に家に持ち帰り仕事をしようと思っても、朝から仕事と同じようにキビキビと働くことはできません。

つい「やらなければ」という気持ちばかりが先行しとても疲れてしまいます。

結局身が入らないまま仕事をして、どっと疲れて休日を終えることも多く、それでも仕事のことが頭の中をぐるぐるぐるぐるしている。そんな状態でした。

周りが怒られても自分のせいに聞こえる

オフィスの中で誰かが怒られている声が聞こえてくることもとても苦手でした。

私が他の人に任せた仕事について、上司に注意されている時。

つい、自分が怒られているような気分になります。

自分が怒られている気分にならなくても、「私が任せたい仕事で注意されている‥申し訳ない」といった気分になり凹んでしまいます。

自分には関係ない。自分が任せた仕事とはいえ自分とは直接関係がない。

そう分かってはいるもののどうしても萎縮してしまう自分がいました。

自分が管理できる範囲外まで自分の責任と思い込む

周りが怒られていても自分のせいに聞こえることも相まり、自分が管理できる範囲外のことまで自分の責任と思い込んでしまうのも悪い癖でした。

案件に少し亀裂が入ると、あれもこれもうまくいかないのは自分の依頼や根回しが上手くできていないせい‥と考えていしまい、生き辛くしてしまうのです。

ここまでくると、もはや「責任感が強い」ことは良いことであると一概には言えません。

ただ自分で背負い込んでしまうことは、「責任感が強い」とは言い切れないのです。

責任感が強すぎてうつ病に

私は仕事に対する責任感が強すぎるあまり、周りに頼ることがとても苦手でした。

それも迷惑と思われているのではないか・本当はどう思っているんだろう?などという思いから、なかなか人に頼ることができず、「私がやらなければ」という強迫観念をずっと抱いていました。

その結果、うつ病と診断されてしまいました。

「私の仕事を代わってくれる人はいません」

初めて行った精神科の病院で、先生にこう言いました「私が休んでも、誰も私の仕事をしてくれる人はいません。正直、休んでいる場合じゃないのです」と。

当時は本当にそう思っていました。

業務量がとても多くひとりで手一杯になっていたのも事実です。

しかし、私の先輩や上司は私以上に忙しく見えました。

そんな時に、自分が潰れてしまったらもう誰も代わりができない。迷惑がかかることは間違いない。そんな思いから出た言葉でした。

責任感が強いことは良いことではありません

責任感が強いことは良いことではありません。

仕事と休日のメリハリをつけられなかったり、自分で仕事を背負い込んでしまったり。

そして、何より自分を追い込み疲れてしまいます。

そんな状態で仕事をしていれば当たり前に、スムーズに進まず空回りしてばかりになります。

それなのに自分を追い込む癖まであると、もう救いようがありません。

かえって周りに迷惑をかけることになる

助けを出してくれる人もいるのに、責任感が強い人はそれを自ら断ってしまうことも多くあるでしょう。

それで自分を追い込み続けてとうとうキャパオーバーを起こしてしまったとき。

そこから周りの人に助けを求めるのでは遅すぎます。

相手もいきなり訳がわからない資料を多く引き継がれてもとても困ります。

責任感が強すぎるとかえって周りに迷惑をかけることになります。

それだけではなく、頑張りすぎたり周りを頼らない姿勢が逆に気を遣わせたり、どんな些細な言葉でも尖って刺さってしまうなど、良い側面はひとつもありません。

自分の代わりはいくらでもいることを知る

責任感が強い人は、良い意味で「自分の代わりはいくらでもいる」ことを知るべきです。

自分しかその仕事をしていない・自分しかその仕事を知らないことは、会社としてとても問題があることです。

とはいえ、自分がその仕事のリーダーだ‥と思うと、とても責任を感じるのも分かります。

でも、あなたが少しのミスをするたびに目くじらを立てて怒る人はいますか?あなたのことをずっと目を離さず見ている人はいますか?

自分が思っているよりも、周りの人はあなたのことを気にしていないのが現実です。

これは私が言われてハッとした言葉でした。

良い意味で自分の代わりはいくらでもいる。

だから、責任感が強すぎるあまり自分の首を絞めることにメリットなど一つもありません。

「責任感が強いね」は褒め言葉ではありません

「責任感が強いね」は褒め言葉ではありません。

責任感が強い人は、責任感が強いねと言われることで、ますますその言葉を自負してしまい、ますます頑張って自分を追い込み続けるという悪循環もあるほどです。

責任感が強すぎると本人はもちろん辛いですし、その周りにいる人も辛くなってしまいます。

さらには、会社における業務において、責任感が強く頑張っている人を引き合いに出され、自分が頑張っていることが悪いことかのような言い方をされてしまうときもあります。

責任感が強いと感じている人は自分の首を絞めすぎず、肩の力を抜きながら不安になったら深呼吸。

誰の目にも入らないところへ逃げるのも良いと思います。

あなたの隣の席の人はどれだけ頑張っているのか、あなたは見えていますか?

何を抱えてどう言う思いを持って仕事をしているか。

相手のことを完全に理解するのは不可能だと思います。

肩を抜きながら仕事をする。周りに迷惑をかける雑な仕事ぶりは良くありませんが、雑と適当は違います。

責任感が強すぎて辛い人が生きやすくなるには、自分の中で少し適当すぎるぐらいがちょうど良いのだと思います。

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