泣きながら仕事へ行った新卒の話

早期離職


私は新卒で入社した会社をたった半年でうつ病と診断され休職しました。

仕事へ行くのがしんどいな・辛いなと思うことは転職をした今でも多くあります。

しかし、新卒で入社した会社の行きたくなさとは比べ物にならないもの。

毎日毎日くたびれた服を着て、出社前には流したくもない涙がぼろぼろ出てきました。

オフィスカジュアルで可愛らしい服を着る元気もなく、毎日ハイヒールを履く気力もありませんでした。そんなときのお話です。

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入社2ヶ月目。泣きながら仕事へ行く毎日

入社2ヶ月目で泣きながら仕事へ行くことが増えました。

あってないような研修期間を終えて4月の半ば、とある支社に配属されました。

社会人になることが楽しみだった私はこれから始まる社会人生活にワクワクしていました。

そんな私が仕事に対して違和感を感じ始めたのは、研修後1ヶ月も経っていないようなとき。

入社して2ヶ月目にはしんどすぎて「行きたくない」を連呼。初めて転職サイトに登録した日は入社して2ヶ月後の6月2日でした。

ストレス過多の毎日

別に誰かにつきっきりで教えて欲しいというわけではありません。

私はただ、やり方や考え方を教わったりヒントとなる仕事の進め方やキーワードが欲しいだけでした。

1人の上司の独裁により、私たち課員は恐怖に怯えながら日々を過ごしていました。

私ができないことがあれば怒られるのは先輩2人です。

課内の雰囲気がどんどん悪くなっていきました。

同じ課なのに、どうして仲良くできないんだろう。

1人を敵にしてあれやこれやと言い合って仲良くなる関係もありだと思うのです。

無理しないでねと言われるものの、手をかけてくれるわけではありません。

こちらからこんな量はできませんと言ってみても、「私もそうだったから」と返されるばかり。

どんどん残業が増えていきました。

ヒールを履く気力もない

人前に出ることが多い仕事だったので、ヒールやきちんとした身なりで行こうという心がけは多くありました。

しかし、結局入社前に買い揃えたオフィスカジュアルに身を包むことのないまま仕事を辞めてしまいました。

今になってやっとその時したかったスタイルに身を包むことができますが、当時はヒールを履く気力もなく、ぺたんこのシンプルなもの。

さらに黒の無難なジャケットは、鞄があたり毛玉になっていても気にする余裕などありませんでした。

トイレの個室に座り込む

営業会社だったのでオフィス内は常に声が響いていました。

営業先に電話をかけるアポ電話、上司が部下を詰める声、電話越しに誰かを怒鳴る声、そんな声が鳴り響く社内にいることが辛かったです。

会社員がトイレに行って便座に座り休憩する光景はよくあると思います。

しかしながら私はトイレの個室に入ってそのまま床にへたりこんでしまうぐらいでした。

辛い辛い辛い。

でもただ時間が過ぎるのを待つだけではいけない。

生産性のあることをしてちゃんと仕事を終わらせないと今日も帰れないんだ。

でもどうすれば良いのかがわからない。自分のやり方があっているか間違っているのかもわからない。

仕事が一段落つかないとお昼休みにも出れない。

お昼休みに出たら出たで、そんなタイミングで携帯に上司から電話がかかってくる。

そんな状況でいざお昼休みに出れたときも、他の階のソファで横になるしかできませんでした。

日々のストレスが持ち越される

そんな日々が続いてどんどんストレスが溜まっていきました。

仕事に終わりがないので達成感もありません。次から次へと襲ってくる仕事に忙殺されながら、夜は眠れないし朝は眠れない、仕事へ向かう途中は常に希死念慮が襲ってきました。

残業をし過ぎるな、生産性は上げろ。

私が残業をする中隣でパソコンをシャットダウンして仕事をしている先輩がいました。

パソコンのログで勤怠が取られるので、パソコンさえついていなければ良い。

それを笑顔でできる。そんな概念がまかり通っていました。

夜は眠れないし朝は起きられない

夜は次の日の仕事が気になってなかなか眠れず、やっと眠りにつけたと思っても朝は5時ぐらいに目が覚め、目覚ましがなるのを待つ毎日。

朝は体が重たすぎて明るい気持ちで出社できた日などありませんでした。

朝は起きれないというより、起きられないという方が正しいでしょうか。

次の日が来て欲しくない。本当に来て欲しくなくて、目をぎゅっとつぶってみることも多くありました。

だんだん明るくなってくる絶望感、明日になれば何か状況は変わる?

待っていても無駄でした。

体重が5キロ落ちる

当然朝昼晩と食欲は全くありませんでした。

朝に食べようと思って買っておいたパンを食べられず、会社に持っていってみるもお昼も喉を通りません。

もちろん帰りは残業をしてから帰ってくるので食欲はほとんどなく気づけば体重は5キロも落ちていました。

それでも食べられない。

食べる気が起きないのは今では考えられません。

たまに会う大学時代の友達に毎回痩せた?顔色悪いよ?と言われることが増えました。

激に体重が変わったこととストレスで生理も止まりました。

それぐらい私にとって環境の変化は急激なものでした。

体が起き上がらなくなった日

ある日突然体が起き上がらなくなりました。

這ってでも会社に行かなければ、有給という手段はありますが有給を使える雰囲気と環境はありませんでした。

なんとか体を起こし、会社へ行ってみるものの、しなければいけないことはわかっていても体や頭が思うように動いてくれません。

明日言おうと決めていた「もう辞めたいです」が飲み込まれる毎日にも耐えられず、とうとう上長面談で「もう続けられないです」と言いました。

「もう続けられないです」と言った面談

なかなか辞めたいという勇気はなかなかなかったですが、このままこんな悶々とした気持ちで過ごす毎日の方が考えられませんでした。

言いたいことがあるならここで言ってと言われた後、私はオフィスからパーテーション1枚でしか仕切られていない商談エリアで「もう続けられません」と言いました。

すると、上司が常套句「俺も昔はそう思っていた」と言われました。

たしかに管理職レベルまでなって、すごく才能のある人なのはわかります。

しかしそう言われて返す言葉はこちらはありません。

俺もうそうだったから何?としか思えないですが、誰しもそんな時期があるならばそれを耐えられないと言っている自分に嫌気がさしました。

うつ病と診断される

生理も止まり、スムーズに辞められないのならば、もう手段は一つしかありません。

私は住んでいる地域の精神病院や心療内科にかたっぱしから連絡を入れました。

精神病院・心療内科どこも予約でいっぱいです。

初診は受けつけておりません・新規の予約は3ヶ月後からです。

常套句のようにたくさん言われました。

それだけ心療内科の予約がとりにくい現代なんだと失望する反面、私は私の診断を出してくれる病院を探すことに必死でした。

やっと見つけた病院で下された病名はうつ病。

まさか自分が精神科に来て「うつ病」と診断されるとは思いもよらず、ただただショックを受けました。

私の仕事は誰がする?

とは言え余裕のない毎日の仕事。

もちろん私は余裕が一つもありませんでしたが、それは先輩や上司も同じでした。

私が休むことになっても私の仕事は誰がやる?という不安でいっぱいでした。

誰かを困らせてしまう。

休職という手段をとって休みたいけれど、その選択をとるともう戻れないだろうなと思うのは明白でした。

そんな気持ちの中、診断された通りメッセージで「3ヶ月の休職が必要とのことでした」と報告すると「了解」とだけ返ってくるのでした。

仕事の代わりはいくらでもいる

今私が休んでも周りの人に負担がかかるだけ。

ずっとそう思って休むことを気兼ねしていましたが、実際そうだったのかもしれません。

しかし、休むこと自体を咎められることはなく、休職後そのまま退職しましたが最後まで責められることはありませんでした。

今となっては無理をしすぎて仕事に行っていても仕事にはならなかっただろうし、それならもっと早めに決断を出しておくべきだったのかもしれないと思うばかりです。

代わりがいないからと仕事に行き続けることはとんだ思い違いだったことがわかりました。

泣きながら仕事へ行くぐらいなら

泣きながら仕事へ行くぐらいなら、一度その勇気を違うベクトルに向けて病院や手段を考えるべきだと思うのです。

泣きながら仕事に行き続けて、ふいにホームに飛び込みそうになることだってあると思います。

仕事には代わりはいくらでもいますが、自分本体の代わりはいません。

私の周りには、休職したけれど復職して今も頑張って元弊社で働いている同期もいます。

全力で立ち向かい続けることがすべてではないと学んだ、私の泣きながら仕事へ行っていたときの話でした。