新卒入社半年でうつ病、休職、退職した話①の続きです。
私は当時、HSPという言葉を知らずに生きていました。
社会人になるまでは、特別HSPの性質で困ったことはありませんでした。
その要素は、優しさ・配慮できる人という言葉で片付けられ、
ストレス負荷がない状態で受け入れられていたのだと思います。
しかしながら、HSPが持っている「気にしやすい・気付きやすい」性質が社会人になって一気に顕著になりました。
思うように仕事が進められない
思うように仕事が進められない具体的な理由は新卒入社半年でうつ病、休職、退職した話①ですでに記述した、第3者に見られていることでひどく意識してしまうことや、思っていることを伝えられないことからでした。
それは意識しようとも簡単に治ることではなかったので、日々の仕事の中でどんどんどんどん積み重なっていきました。
毎日毎日毎日「私さえ変われば」「私の考え方が変われば」と思っていましたが、自分の性格はなかなか変えられるものではありませんでした。
仕事の終わりが見えない
上司がいない状況や私の仕事のできなさ・指導に対して先輩も一緒に怒られる毎日。
どんどん仕事ばかりが増えて行き、残業・気持ちの負荷だけが増えていく状況でした。
業務量は日毎に比例して増え続けていきます。
でもなかなか周りにヘルプを出せない自分がいました。
そもそも、入ったばかりの新入社員はどの仕事にどれぐらいの力をかければいいのかさえわかりませんでした。
それさえ聞くことが憚られた理由は、完璧主義の上司から「手を抜いて良い仕事などない」と聞いたからでした。
「自分さえできれば」「自分の取り組み方を変えれば」そう言うふうに自分を犠牲にして解決できるように頑張りました。
誰かのことを頼るより自分で仕事を片付ける方が気が楽だったのです。
課内の不仲と不透明な業務
業務量が不透明だったことには、もう1つ理由がありました。
それは、課内の不仲でした。
私には、同じ場所に同じ課の先輩が2人いました。
私の仕事は、その2人それぞれから引き継ぐ状態でした。
しかし、この2人の仲がお互い気を遣いあうため、私の課はミュニケーションが圧倒的に不足している状態でした。
そのため、お互いがどれだけ私に仕事を振っているのかがわからない状況でした。
それに加え、仕事のウェイトがわからない私はますます両側からもらう仕事の優先順位に迷ってしまいました。
当然、先輩2人は自分が引き継いだ仕事を我先に終わらせろと言わんばかりに進捗を聞いてきます。
みんな本当に私と同じだけ業務量を持っているの?
同期のスケジュールを確認しても、私の業務量は圧倒的でした。
課内のムードが最悪に
いよいよ怒る上司と聞くしかない部下たちによって、課内のムードは最悪になりました。
その場にいない上司にチャットで怒られる3人。
誰も口を聞かない、上司から言われたことだけをやる、それに尽きると思いましたが、新入社員はメール1本でも確認を貰わなければならない印象第一成果主義な営業会社。
足を引きずる存在であることは明確でした。
それでも食らい付いていく勢いを持っている人がこの会社では活躍できるんだ。
強く思いました。
でも、今すぐそのような人間になりたいと思ってもすぐなれるものではありません。
何にでも時間をかけてしまう私のこともあり、とても良いとは言えない雰囲気でした。
そう簡単に変われない自分
HSPはもともと持っている性質です。
HSPだからできない・HSPだから人よりも気にしてしまうとは言えません。
そして、言いたくありませんでした。
HSPはただの自己理解に過ぎず、私は自分の身を置く環境を間違えただけでした。
今なら理解できますが、当時は私自身がなんとかしなければ・しっかりしなければ、とばかり思っていました。
自分が変わりさえすれば、と。
しかしどうしても難しいことの連続に精神はすり減っていくばかりでした。
しっかりしなくちゃと自分に発破をかける
まず私が思ったことは「しっかりしなくちゃ、やらなきゃいけないことを整理して、順序立てして順番に片づけていけば、迷うこともない」と思い優先順位付けを頑張りました。
しかし、1つのタスクにものすごく時間がかかってしまう性分。
1つのことを片付けているうちに他のことが耳に入ってくると今度はそっちが気になって仕方なくなってしまう。
その繰り返しでした。
少し躓くだけで深く考えてしまい、少しも前に進みません。
すぐにまた悪循環に戻りました。
仕事を持ち帰って休日も仕事
同期も土日は家で仕事をしているという人が多かったので、元弊社では当たり前だったのかもしれません。
しかし、仕事そのものに嫌気がさしているためモチベーションは全くありませんでした。
とにかく土日ぐらい休ませて欲しい。
金曜日に泣く泣く持ち帰った大量の仕事。
やらなくちゃ‥という気持ちだけが先行していきました。
最初は頑張ってなんとか励んでいた土日の仕事ですが、仕事がもつれるようになってからは足枷でしかありませんでした。
やらなくちゃ‥という思いばかりが先行しますが、体はずっと寝たきりから動けません。
そんな土日を過ごしていると、もちろん十分に休むことはおろか、休んだ感覚さえありませんでした。
辛いのに辛そうに振る舞えない自分
会社へ行く最寄りの駅で大学時代の友人と会う機会がありました。
すごい勢いで「痩せた?顔色悪いよ大丈夫?」と言い寄られました。
会社へ行ってもやらなければならない仕事は山ほどあるのに、どれだけ進めても進めても終わりません。
成果物を出しても、悪いところの指摘しか返ってきません。
他部署の先輩にも心配されますが、他部署の先輩に代ってよと伝えても、代わってもらえるわけがはありません。
仕事だけではなく相手に体調が悪いことさえも伝えることができませんでした。
「体調のせいにして。」「体調が悪いと言っても仕事が減るわけではない。」と言われそうで、それさえも罪悪感でいっぱいでした。
泣きながら会社に行っているのに、そのことは誰にも言い出すことができません。
その上、何か話題を振られると辛さなど全く見せず、ニコニコ話してしまう自分もいます。
有給は誰にでもある権利だし、体調不良も多くの人が経験したことはあるでしょう。
しかし、「それさえも言えない自分」に対して後悔するばかりでした。
会社のストレスが体調に
どんどんストレスが体調に出かけていたときですが、決定的なものもいくつかありました。
ストレスを感じているのに、そのストレスはまったく会社では出せないでいました。
全身の蕁麻疹
肌がそんなに荒れたことがない私ですが、全身に蕁麻疹ができました。
特に腕が酷く、クリームを塗ってもなかなか治りません。
ストレス性蕁麻疹でした。
しかし、仲が良かった同期もたまに出るよ〜と言っていたので、蕁麻疹どころで‥。
そこまでは気になりませんでした。
ストレスが溜まっていることも自分では自覚をしていたので、重く受け止めることはありませんでした。
食欲が減退、何も食べられない
この頃、朝も昼も夜も食欲はありませんでした。
仕事でエネルギーを使い、とても疲れているはずなのになぜかまったくお腹が減りません。
お昼休みはビルの他フロアのソファで横になることしかできませんでした。
SNSの広告がすべて転職サイトや転職エージェント一色になり、「転職したい」という思いばかりが先行。
つい目に入る、転職サイトや転職エージェントにすがるような思いで登録していました。
登録催促や詳細を聞く電話はかかってきますが、入社して間もない求人は少ない。
難しいと諭されるばかりでした。
朝食べようと思っていたパンをお昼に食べようと会社に持っていき、そのまま食べられず持って帰る。
そして夜ご飯もまともに食べることができない。
そんな状態が続き、体重は入社当初より6キロ減。
びっくりするほどみるみる体重が落ちていきました。
生理が止まる
体重がみるみる減ったこと、ストレスの影響などから生理も止まっていました。
しかし、気づいたら3ヶ月ぐらい来てないかも、という感覚。
楽だしなんでもいいやと何も気にならなくなるほど仕事でいっぱいいっぱいでした。
夜は眠れず、朝は朝で起きられないという状況が続いていたため、睡眠状況も相まっていたのかと思います。
もう無理。を悟った日
そんな状態が続き、出社前には涙が出てくる状態でした。
あんなに楽しみにしていて買い揃えたオフィスカジュアルやジャケット。
どれも毎朝選ぶ余裕などありませんでした。
ヒールのないぺたんこシューズに鞄にあたり擦れ切れた毛玉のできたジャケット。
そんなボロボロな社会人には絶対になりたくなかったのに、もう何も気になりませんでした。
ホームへ行くと、つい特急列車に飛び込みそうになる自分がいました。
そんな私を自制するために、改札に入ってからはホームのなるべく遠くへ。
電車の到着ギリギリで乗り込むようになりました。
どんどん増えていく転職サイトへの登録、エージェントへの登録。
一番初めに転職サイトに登録した日は6月2日でした。
入社してまだたったの2ヶ月でした。
涙を流しながら出社
出社前は泣きたくなくても、つい涙が出てきました。
こんな感覚は生まれて初めてでした。
行かなきゃいけないのに、ずっと楽しみにしてた社会人生活なのに、ビルが見えてくるともう足が進まなくなってきます。
ビルのトイレに篭り、便座に座る元気もなく床に座り込み、前屈みになり倒れ込む日もありました。
仕事で社用車を使う機会も多くあったのですが、訪問することが苦しいという気持ちからついコンビニに車を止めて休憩することも。
アポイントを飛ぶということはありませんでしたが、心臓が落ちていく感覚が止まらない、気の重たい毎日でした。
それでも行かなきゃ。私の仕事は誰がする?
それでも出社することができたのは、「責任感」があったからです。
今休んでしまっても、明日には訪問予定が入っている。
先輩2人はとっても忙しそうだし、上司には代われるはずもない。
強いていうなら一番仕事を抱えていないのは私だろう。
こんな状況で私が休めるわけがないと責任感に駆られていました。
急に人が飛ぶことや、長期休み明けは人が来なくなったりすることもある職場でしたが、「行くのを辞める」という選択肢を取ることができませんでした。
上司との面談「もう続けられません」
ストレスがとうとう体調にも出てきて、会社にいくに連れて足取りもどんどん重くなっていきました。
このままは普通の業務をこなしていくことさえもできません。
ただでさえ追いついていない仕事。
いた方が迷惑なのではないか。
上司が支社に来社した際に面談を組んでもらいました。
そこでやっと「体調が悪く、今にも体を壊しそうです。」と伝えました。
忙しい上司とのとても短い面談だったので、私の思っていることを全部話す時間はありませんでした。
帰ってきた答えは、「体調の悪さを理由に出されたら、俺は何も言えないんだよな〜」
ただ、それだけでした。
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