フルパワーで何もかも頑張る。
私はそれが正しいあり方だと思っていました。
しかし、新卒で入った会社を半年でうつ病と診断され休職、そして復職することなく退職しました。
頑張りたかったけど、頑張れなかった。
何もかもをフルパワーで頑張ることが正しいことだと思っていた私は自分の現状にひたすら自分を責め続けては、失望していました。
頑張るなと言われても、組織の一員としてお金をもらっている限りは頑張らないなど考えられません。
むしろ働かないことで「あいつはなにやってるんだ?」「成果が全然出てない」と思われることが怖かったです。
そんな私が、新卒入社半年で休職した経験や転職をした経験を経て、少しずつ肩の力を抜けるようになった話です。
新卒入社半年で倒れる
新卒で入社して入った会社を半年で、いや詳しくは入社して5ヶ月でうつ病になりました。
社会人になったら、いっぱい仕事を頑張って、そのためには土日出勤もいとわない!それほど頑張らなくてはいけない!
それが社会人としてのただしいあるべき姿だと思っていたからです。
ですが現実は思うように、動けない・動けませんでした。
スピード感が大切な仕事なのに、いろんなことに迷ってしまい何から手をつければ良いかわからない。
なかなか会えない上司に今の現状をどうすればいいのかわからない。
機嫌の悪そうな先輩になかなか質問をすることができない。
そんなギャップと相反してそれでも頑張らなければと言う思いから、仕事に行くのがとても辛くなりました。
もっともっと頑張りたい自分と、なかなか仕事を思うように進められない自分の間で、仕事にいくのが辛くなってきました。
私さえ頑張れば。
そんな考えがすべての根底にあった気がします。
「見たい映画がある‥けれど仕事仕事を後の自分のために終わらせた方が良い」などと成果にとらわれるあまり、休日でも仕事をしなきゃという思いばかりが先行。
上手な休むことさえもできなくなっていきました。
うつ病と診断され考えたこと
そんな私が会社に限界を感じ、やっとの思い出精神科に連絡、うつ病と診断されました。
うつ病と診断されてからは、出社することなく休職に入りました。
休職中は、「私だけ休んでいる」「みんなは普通に働いているのに」「私より働いている人はたくさんいるのに」と思う気持ちが止まらず、どうして私だけちゃんとできないんだろうと悩むことになりました。
というものの、休職している事実は変えられないし、今の職場には戻ったとしても遅かれ早かれ退職するだろう。
そういう気持ちもどこかであり、私にとっては仕事の内容は好きでも24時間やり続けることはさすがに苦しい。
「仕事ばかりに囚われるより、自分の時間をしっかり持つこと」が大切だということに気づきました。
自分より頑張っている人がいる限り、努力をやめなかった
「私は朝まで働いたことがある」「月300時間残業をした」などよそんな誰かの武勇伝をよく聞く会社でした。
上司や先輩が話すこんなことだけではなく、ネットを見ていても「あの時の経験が生きてる」「ブラック企業で頑張ってよかった。」という話はよく見る話でした。
努力の先に何かがある、そう思って止みませんでした。
最初からそんなレベルになれるわけがないとは思っていましたが、自分より頑張っている人がいるという事実がある限り、私にできないわけがないと自分を過信していたのです。
しかし、私より残業をしている同期がいるのも事実だし、それでも頑張っている人がいるというのも事実。
そしてなにより、「あの時の経験が生きてる」や「ブラック企業で頑張ってよかった」という話をする人よりも、その下で潰れていく人や自信をなくしてしまう人の方がはるかに多いと気づいていませんでした。
しかしながら、当時の私は「私もやらなきゃ」という思いからどんどん追い込まれていきました。
あの人ができているのに私はどうしてできない?
休職に入ってからは「同期がバリバリ働いているにもかかわらず、どして私はできなかったのだろう」というショックがとても大きかったです。
無論、同級生にも転職はおろか休職をしている人さえもおらず、まだ研修中!なんて同級生もたくさんいました。
そんな時に、他のエリアで休職をしている同期がいることを知りました。
その同期と会った時、「できない自分が悔しい、自分がこうなるとは思っていなかった」と言っていたのを今でも覚えています。
「自分を過信していた」とは言いたくありませんが、頑張ることが正解と考える故、力を抜く方法を忘れていたのです。
フルパワーで頑張り続けた社会人1年目
社会人になってたった半年で休職なんて早すぎるでしょ!と今ならつっこめますが、当時は「こんな私を雇ってくれる会社なんてもうない」「社会不適合」、人生が終わったと本当に思っていました。
いくら会社が酷かったと言えど、入社半年で辞めた人を次に雇ってくれる会社もいないんじゃないか。
そう考えてはたくさんの選択肢があった大学就活時代のことを思い出ししんどくなった社会人1年目でした。
全力であることが「正解」という思い込み
全力を出して頑張っていることが正解。
そう思っていました。
今でもやっぱりめちゃくちゃ頑張っているサラリーマンを見るととても素敵でかっこいいと思います。
しかし、自分にとって居心地の良い環境や好きな自分でいられる環境の上にできること・やりたいことが成り立つのだと改めて考えます。
「残業」は偉いことではない
自戒を込めて言います。
そもそも私がずっと思っていた「残業」している人が偉い。という概念もおかしな話です。
長く働く理由は、頼られて仕事をたくさん振られているからかもしれない。
でも仕事がなかなかできないタイプでただただ効率の悪さゆえ残業をしているのかもしれない。
営業職がほとんどの会社だったので、必然的に残業が多い=成績も良い=頑張っている、そんな図式が成り立っていたような気がします。
残業はすればするほど偉いし、長く働く方が偉い。
私はそう思っていましたがそれで体を壊したり、メンタルのダメージを受けていては、良い影響などひとつもない上、本末転倒なのです。
正解思考を持つこと自体、正解ではない
私がずっと思っていた「正解思考」。
仕事でプレゼンをする際、就活中の学生に向かって散々「正解思考はよくない」と唱えてきた私が一番正解思考を持っていました。
しかし、この正解思考やこうあるべきという思い込みからなかなか抜け出すことはできませんでした。
こうすることが正しいんだよと言われ「正しく」することで人から認められてきたからです。
私よりもっと残業をしている人がいる。だから私はダメ。
私よりもっと大変な人がいる。だから私もやらなければいけない。
これは、能力の「差」ではなく活かす能力の「違い」だととても思います。
「できない」ことをなかなか手放せなかった私は、できることに目を向けたこともありませんでした。
力を抜いて働くことは悪いこと?
フルパワーを出し切って力を入れて働くことがえらいことで、あるべき姿だと思っていました。
でも、今は自分の得意なことに目を向け、力を抜きつつ働いています。
前職でのプレゼンテーションをしたり人前で話すこと、文字にして伝えることは相変わらず好きなことです。
でも前職は余裕がなく、じっくり考える時間がなかったため、次第に追い込まれてしまいました。
適当なプレゼンで適当に出まかせを話すようなことなど、私にはできませんでした。
私が何より大事だったのは時間の余裕があることや自分の時間をしっかり持てる環境で働けることでした。
転職のススメをしたいわけではありませんが、頑張りすぎることが正解という思い込みを無くすことで、余裕を持ってますます良い姿で働けるようになったと思います。
もう少し「適当」でも大丈夫
会社はたくさんの人が集まってできています。
どれをとってもそれが得意な人やそれが苦手な人、そうでなくても人を動かすのが得意な人、指示を出すのが上手な人、言われたことをやることが心が楽な人、たくさんの人が集まってできています。
自分の苦手なことはすべて人に丸投げ!というわけにもいきませんが、苦手なことに頑張って挑み続けても効率は悪い上、ストレスも溜まってむずかしい顔をして話しかけづらい印象を持たれたり、自分もストレスを抱える結果になってしまいます。
そして、そんなことはそれが得意な人にやって貰えば良いのです。
肩の力を抜いて頑張るということ
HSPは特にだと思いますが、自分がいられる環境や得意なことの上に、できることや頑張れることがあると強く思います。
フルパワーで頑張っている人はとても素敵ですが、他のところで力を抜きながら頑張ることも自分のため、そしてそれがゆくゆく組織のためにもつながっていくと考えています。
「もう少し肩の力を抜きなよ」と言われてもなかなか抜くことができませんでしたし、誰かに頼るという発想が乏しく、力の抜き方がわからなかったです。
そこは組織なんだから
会社は1人ではまわりません。
せっかく組織にいるのであれば、すべて自分が完璧にできるようになる必要はまったくありません。
HSPは責任感が強いと言われたり、周りによく気付くため気疲れをしてしまう、気を遣い過ぎてしまうことも多くあると思います。
人の期待はできるだけ裏切りたくないですし、できませんなんて口が裂けても言えませんでした。
悲しいですが、「私なりに頑張っていた」も成果主義になると目に見えないので頑張っていないのも同然だと思います。
わかっていても難しい、けれど
とはいえ、私もまだまだ「私がやらなきゃ」と思うことはたくさんありますし、できないことに対して、どうしてできるようにならないんだろうと悔しい思いをすることもたくさんあります。
自分にできると思って任されているのに、できませんでしたと言う結果で終わりたくはありません。
でも、相手と私は全く違う人間であり、それは「差」ではなく「違い」なのです。
自分の本音を放置して自分がどう感じるのかさえも忘れてしまう前に、自分の得意なことや何をしている時に楽しい、気分が良いのか。
自分の本音が見えてきた後に、あの人これが得意そうだな、これからどうしていこうかと紙に書いたり文章にすることで心が楽になれました。
正解思考は相変わらず抜けていない時もありますが、自分はどうしたいだろうとじっくり考えることで、正しい・正しくないではなく気持ちがいい選択ができるようになるんだなあと感じるばかりです。
そしてそれが、周りのためであり自分のためへと繋がっていくんだと、今は思います。