先日Twitterで何気なく呟いたことが思わぬ反響を呼んでびっくりした私です。
私は、新卒入社半年でうつ病と診断され休職。その後、退職しました。
営業として入社した新卒の会社はテレアポが営業方法の基本。
研修では優しいお手本に沿った簡単なレクチャーを受けるだけ。その後は場数を踏んで慣れろというスタイルでした。
しかし、受電のみのコールセンターとは違い、基本はこちらから掛けていく架電スタイル。
架電の電話がとても苦手だと気づいた私は、仕事だと思いながらも電話対応が苦痛で苦痛で仕方ありませんでした。
「よろしかったでしょうか。」はダメ?
そんな私がテレアポをする中で連呼していた言葉が「よろしかったでしょうか」でした。
研修中も、もはや無意識に使っていたと思います。
そして「よろしかったでしょうか」を誰かに咎められることはありませんでした。
「よろしかったでしょうか」は、電話問わず、飲食店やコンビニなどでもよく聞く言葉でありそもそも何も違和感を感じていませんでした。
きっとTwitterでも多くの人に興味を持ってもらえたのは、「よろしかったでしょうか」そのものがそれだけ世間に浸透している言葉だからだと思います。
配属された支店での業務中、何気なく「よろしかったでしょうか」を使っていた私に事件は起きました。
電話を切った瞬間、隣の席のお局的存在の先輩にものすごい剣幕で「よろしかったは正しい日本語じゃないから。」と言われたのです。
「よろしかったでしょうか」はダメ派
よろしかったでしょうか・〜のほうでございます・〜からお預かりいたします・させていただきます
などは、バイト敬語と呼ばれており、なんとなく丁寧に聞こえる言葉なだけで、聞こえはいいですが敬語としては間違っているそうです。
「〜のほうでございます」や「〜からお預かりいたします」は使いませんが「させていただきます」などはしょっちゅう使っていました。
ちなみに、させていただきますではなく、いたします、が正しいようです。
とは言え、社会人でも連発している人、私を含めたくさんいますよね。
「よろしかったでしょうか」肯定派
「よろしかったでしょうか」は正しいよ、間違いではないよ!というリプライが予想外に多く来ていて、肯定意見が想像以上にあったことは驚きました。
一時期常識クイズなどの番組が増えたことにより、曖昧なことをきっちりと間違っていると言う風潮もあったようで、よろしかったは間違っていないという声もありました。
確かに、過去に発生したことを聞く時は「よろしかったでしょうか」が今でも私の中で一番しっくりきます。
今は、お局様に物凄い剣幕で「よろしかったでしょうか。はダメ!!」と言われたことのインパクトが強すぎてもう聞くことはありません。
「よろしいでしょうか。」や「いかがでしょうか。」とお伺いを立てることができるようになりました。
「よろしかったでしょうか」の「かった」の部分は過去を表すことになりますが、よろしいかよろしくないかを決断するのは今だから、過去形にするのはおかしい?
いろいろと考えられそうですが、哲学の領域になりそうなので、割愛します‥。
ひとまず、「よろしかったでしょうか」を聞く機会はまだまだたくさんありそうです。
「よろしかったでしょうか」よりも怖いこと
「よろしかったでしょうか」がダメと物凄い剣幕で言われたことよりも私は私の電話を聞かれてることに対して恐怖を感じました。
このツイートで話題になった部分は「よろしかったでしょうか」がそもそも良いのかダメなのか、というところでしたが、私はそれ以上に「電話を隣でまじまじと聞かれていたこと」がとても辛くて怖かったのです。
頭ではわかってる。だけど‥
そもそも1年目に何かを期待されているとは思いませんし、別に先輩も私のことが嫌いなわけではない(だろう)。
そして、何より間違いを正してくれることは新人としてはもちろん、人として感謝をしなければならない。
そして誰もが通る道であり、誰でもよくあること。
頭ではとてもよくわかっています。
でもいざ指摘されると、必要以上に落ち込んでしまう。これが私でした。
クライアントに対して、間違った敬語を話してしまうことより、社内の誰かにじっくりと会話を聞かれて「本当は間違っているのに」・「敬語全然使えてないじゃん」と思われることの方が私にとってはよっぽど怖かったのです。
この思考を持つと、営業のための電話をしているはずなのに私の頭の中はクライアント<社内になってしまい、私の頭の中はクライアントとどう話すかより、今の敬語大丈夫かな‥。に侵食されていくのでした。
こんな状態では電話に集中できるわけもありませんし、会社の携帯電話を持って階段の踊り場で電話をする方がはるかに精神的に楽でした。
1年目は伝えたいことが言えれば及第点
社会人1年目で電話対応ができないと悩む人も、社会人1年目は、自分の伝えたいことが相手に言うことができれば及第点だと思います。
よろしかったでしょうかを使うことはもうありませんが、営業される立場となって、「よろしかったでしょうか」と言われて気になることはありません。
敬語がどうこうより内容の方がはるかに大切なので、相手の敬語が気にならないのです。
社内の人に聞かれている状況で電話をすることは相変わらず今も苦手です。
「慣れ」とは言いたくありませんが、回数を重ねる、テレアポよりも深いレベルの話をすることで、自然と会話に集中できるようになりました。
そんなことよりも、自分の後輩が「よろしかったでしょうか」を使っていたとしても「よろしかったでしょうかなんて日本語ないから。」と吐き捨てる先輩にはならないでおこうと気を引き締めるばかりです。